例えば、ただ布団に包まってじっとしていたとしても。
時間は勝手に過ぎていくし、自分でも気付かない間に多くのモノを失ってしまう。
それは誰かに向けて投げかけた精一杯の感情だったり。
かつて好きだった人の名前や顔の形だったり。
失わないための防衛策もなければ、取り戻す術さえも知らない。
私は多くのものを失った。ただ単にそれだけのことなのかもしれない。
数年前、私は多くのものが失われていくことに焦っていた。
このまま失い続ければ、私は空っぽになってしまうのではないか。
せめてもの抵抗として、所持している記憶をできるだけ鮮明に掘り起こしてみた。
その記憶に映った人物は、私の着ぐるみを纏った別人のように見えた。
どうして笑ったり泣いたり怒ったりしているのか、私にはまるで理解できなかった。
それは誰かが描いた一枚の絵のようであり、肝心のストーリーが抜けていた。
どうせ失ってしまうあれば、同じように新しいモノを取り入れればいい。
私は空虚感を埋めるために、人々の話に進んで耳を傾けた。時には作り笑いもした。
しかし、どんなに新しいモノを求めても一向に空虚感は埋まらなかった。
人々の話は左の耳から入って、そのまま右の耳から出ていった。
感情は心を通り過ぎて、服のポケットから零れ落ちていった。
当時の私は、肝心なことを忘れていた。
それは、とても単純であたりまえのこと。
人から何かを求めるのであれば、まずは自分から何かを与えなければいけない。
私はただ求めるばかりで、何一つ与えようとはしなかった。
相手のことを知ろうとしなければ、誰も扉を開けてはくれない。
壁に塞がれたままでは、大切なことは何一つ届かない。
私には人に与えられるようなモノなど、ほとんど何も無いのかもかもしれない。
だけど、人が誰かに与えられるモノなんて、本人にも相手にもわからない。
私にできることは、自らが何かを与えようとする姿勢を相手に示すこと。
扉をノックする。こんにちは。私にできることは何かありませんか。
ただ単にそれだけのこと。何も飾る必要はない。
何もなければそれでいい。気持ちだけでも伝わればいい。
過去が美しく見えるのは、その殆どがすでに失われてしまったから。
時間が経てば大抵のことは許せてしまう。そんなもんだ。
無理に過去を振り返る必要なんてどこにもない。
ゆっくりでもいいから、少しずつ前に進んでいこう。
何かを与える姿勢を見せれば、相手もきっと心を開いてくれる。
そうやって徐々に心の隙間を埋めていけば、新しい自分として生まれ変わることができるはず。